辰年の竜のおとし子    辰の年によせて    松下カロ


喪をかかげいま生み落とす竜のおとし子 中村苑子

たつのおとしご9


中村苑子の句には仄暗い水底のような空間がある。華麗な語彙の中に俳人は黙って立っている。
 
日本語の特性のひとつに主語の省略の自由がある。普通、「読む」とか「読みます」と言えば「私は読む」という意味になる。


春の日やあの世この世と馬車を駆り   『水妖詞館』


アポロンの馬車


昨日から木となり春の丘に立つ  『水妖詞館』


丘の木2
















馬車を駆って幽明を自由に飛びまわるのは作者自身である。
春の丘に立つのもまた作者であろう。では、次の句はどうだろう。


喪をかかげいま生み落とす竜のおとし子


たつのおとしご1


中村苑子第一句集『水妖詞館』冒頭の句である。前二句と同じ読み方をすれば、喪をかかげ、竜のおとし子を生み落とすのは作者自身ということになる。しかし、ふっと不安になる。読者の多くは、水中に於ける竜のおとし子の誕生の映像を思い浮かべていることだろう。日本語の常道から言えば主語は作者だが、視覚的には竜のおとし子である。主体はどちらか、考え始めると、さらに伏線が張られていることに気づく。
喪をかかげる。生み落とす。正反対の意味を持つ言葉である。一句の中に生誕と死がある。こうした二面性は他にもある。
喪をかかげるのは人間の行いである。
一方、竜のおとし子を生み落とすことは、勿論竜のおとし子にしかできない。ふたつの動詞は異なる主体を持つ。意味と同時に主語も対立している。

たつのおとしご4たつのおとしご7


竜のおとし子は雌の産んだ無数の卵を雄が腹部に入れて守る。誕生の時は、父親の体から透き通った小さな竜のおとし子がいっせいに水中へ飛び出す。そのため、両性が「生む」ように見える。作者か竜のおとし子かという単純な二者択一ではなく、作者かも知れないし、竜のおとし子の雌かも知れず、雄である可能性もある。「産む」と言わず、「生む」と言っているのも、そんな多義なふくらみを持たせたいという意識からきているのかも知れない。 
主体は、二層にも三層にもなり「生み落とす」という根源的な行為を繰り返す。こうした複合的な描かれ方によって、竜のおとし子は不思議な透明感を獲得する。

たつのおとしご5

竜のおとし子 パパ 妊娠中!?

「切れ」と主語にも入り組んだ関係が成り立っている。句は「喪をかかげ」で切れるのか、「生み落とす」で切れるのだろうか。結論から言えば、どちらでも切れ得る。
「喪をかかげ」は言い切ってはいないので切れとしては弱い。しかし、先頭に位置している「喪」という文字の重さからか、このフレーズが句全体を統べているように感じられる。
「喪をかかげ」で切れるとすれば、主語は作者であろう。「生み落とす」の「落とす」を終止形と考えて、ここで明確に切れていると仮定するならば、主語は竜のおとし子と見る方が自然である。切れのある方の動詞が選ぶ主語、「喪をかかげ」なら作者、「生み落とす」なら竜のおとし子が主体として優先すると思われるからである。
「落とす」を連体形と見て、上五と中七すべてが「竜のおとし子」に係ると考えると、主語の行方は流動的になり、どちらとも受け取ることができるようになる。
言い換えれば、句はこれ、という確かな切れ方をしていない。そして、それぞれの場合で主語は微妙に揺れ動く。切れの可能性を探ってゆくと、句の中では、人間が竜のおとし子を生み落とすことも、竜のおとし子が喪をかかげることもできるのである。
これは、文法的には係りの関係があやふやであるという、一種の欠点と見なされる状態かも知れない。しかし、切れの曖昧さが、変幻自在な構造の句を形作るために、大きな役割を果たしているとも言える。喪をかかげるのが誰なのか、生み落とすのは誰なのか、作者が仕掛けた謎に翻弄されるうちに、我々は「水の中の物語」へと引き込まれてゆく。

たつのおとしご8

「喪」と「生む」、激しい対立を詠みながらも、句はむしろ柔軟な印象を残す。喪をかかげることも、夥しい竜のおとし子の誕生も、水中で起きた出来事であるからだ。水中は胎内でもあり黄泉でもある。相反するものも共存し融合することができる。動詞のレトリックや切れの多様性からくる主語の揺動も、少しも不自然ではない。

喪をかかげいま生み落とす竜のおとし子

辰年は悼む年、同時に奮い立つ年である。

                   
                   松下カロ『竜のおとし子・蛹・蝶・鴉たち 中村苑子小論』


たつのおとしご3




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