中村苑子遠望 饒舌の鸚鵡 その2 松下カロ

狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる 『水妖詞館』


鸚鵡のブローチ


ほそい腕、ほそい指。鸚鵡の首を絞める女の手。 怖い・・・・。

唐突ですが、

帰り花鶴折るうちに折り殺す     赤尾兜子 『歳華集』1975年

折鶴1


 
ここでも鳥が殺されています。 ( 紙製の折鶴ではありますが。 )
赤尾兜子は『俳句評論』の重要なメンバーです。独特の「二物衝撃」による「第三イメージ論」の実践で、関西前衛俳句を牽引しました。
折り鶴の句は、後期の、伝統表現への回帰を指摘される頃の作品です。細かい「鶴を折る」作業、言い換えれば何か知的な作業に疲れ果て、荒れ果ててゆく人間の心理が痛々しいばかりです。作者の心の内にある「計り知れない部分」の存在を意識せずにはいられません。
「第三イメージ論」はなかなか読み取りが難しい実践と言えるでしょう。一般的な「二物衝撃」はふたつの「もの」をいかにマッチング ( 意外性も含めて ) させるか、に工夫がこらされているのですが、兜子においては違います。全く異質のイメージ、化学変化させた、とも言われる「第三の」イメージを追い求めることに力が注がれ、多くの場合、生まれてきたイメージは読む側との「共感」から敢えて遠ざかろうとしているかのようです。そして「共感」を拒否された読者は、拒否されたことで、却って兜子俳句に追いすがりたくなるのです。

広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み     『蛇』1954年

「裂けた木」、「塩」ふたつの無機物の衝撃は、読んでいて辛くなるような主体の痛み、精神的疲労を伝えています。

このあたり、中村苑子の駆使した作句テクニックと実に似たものを感じます。彼女の場合は、むしろ入り込みやすい「妖艶句」と、破目を外した「異形の句」を衝突させることで、追い求める自身のイメージを一連に定着させようと図っているようです。一句のなかでは、兜子のような分裂を誘う危険はあえて犯していません。「二物衝撃」 ( という言葉を選ぶべきか否かは解りませんが。 )は句と句をからみ合わせることで、引き起こされています。

鸚鵡5


兜子は、また苑子は比喩( 暗喩 ) というものを、「読み手と実感をひとつにするための詩的技術」としてではなく、「自身の実存を確かめるための方法」として捉え直そうとしていたのでしょうか。

中村苑子と赤尾兜子。年齢的には、兜子のほうが10歳ほど年下ですが、畢生の代表作、とも言える句集を上梓した時期は重なっています。
中村苑子『水妖詞館』、赤尾兜子『歳華集』、共に1975年刊です。ふたりは、『俳句評論』に拠り、人生の大きな句業を、時を同じくしてやり遂げていたのでした。
 当時、句の頂点を持ったもの同士として、苑子、兜子は互いの句に無関心でいた筈がありません。

絡み藻に三日生きたる膝がしら    『水妖詞館』
去来忌の抱きて小さき膝がしら    『歳華集』
夕ざくら家並みを走る物の怪よ     『花狩』
空鬱々さくらは白く走るかな       『歳華集』

兜子の繊細で若干病的なものを感じさせる詠い方は、意識的にせよ、無意識にせよ、苑子句に何らかの影響をあたえているのではないでしょうか。特に気持の揺れた際の「破調」の句には・・・。

鸚鵡4

鸚鵡や蝮、鴉は何かの「代替物」として使われていることが多いようです。
兜子の「裂けた木」や「塩」もまた然りです。つまりこれらのアイテムに付託されたイメージは解りにくいものですが、示唆的で切羽つまった「内訳」、くだけた語にすれば「ネタ」がこもっているのです。確執の対象か、事件か、何かを暗示しているのであろう言葉たち。しかしそれが何なのか、大抵は到達困難なまま終わるのですが・・・。
この点、たとえば「意味を離れる。意味へ逃げない。」ことを一貫して標榜してきた俳人、阿部完市の「解りにくさ」とは、本質的な違いがあるといえるでしょう。この俳人にも、「鳥」の句があります。

鵜を抱いてけむりいつぽんもつて     『純白諸事』

洗練され、磨きぬかれた言葉たち。鑑賞者は「読む」というよりただ「感じる」ことを要求されています。

かなかなのころされにゆくものがたり     『にもつは絵馬』

音韻を信じ、常に無垢な気持で句の世界に入り込むことで、はじめて上質なリズムや音律の魔法に身をまかせることが出来るようになるのでしょうか。この圧倒的な世界を守りつづけ、詠み続けることの素晴らしさと孤独。
阿部の作品に魅力を感じつつ、苑子、兜子の自身の悲しみを資として練り上げた「私小説」めいた句にも、抗しきれないものがあります。

狂い泣きして熟練の鸚鵡をくびる
俳人は怒っています。句は五七五と言うよりは、七「狂ひ泣きして」、五「熟練の」、七「鸚鵡をくびる」の大破調。上五(七)はもたれっぽく暴れ、下五(七)も堪忍ならぬ、の様相。小気味良いほどです。残酷なことを言っていながらも、場面設定は具体的でよく飲み込めます。なんだかスカッとします。中村苑子は偏愛してきた「曖昧な物言い」をここではさらりと棄てています。

鸚鵡6

「狂って、泣いて、鸚鵡を殺します。」明快です。こんな風に怒ったことは私にもある、とか、たまにはこんな風に怒ってみたい、と思わせます。この種の句にも「謎めいた動詞遣い」や「主語のすりかわり」を多用していたとしたら、読者は句をもっと重くるしいものに受け止めねばならなかったでしょう。
句の形は句の内容に求められるままに変貌しています。
人間誰しも頭にくる事はあります。「俳句の巫女」中村苑子とて例外ではないでしょう。でも、「熟練の鸚鵡」とはなんの象徴でしょうか。白秋調の薀蓄を含んだ言葉にも思われますが・・・。どんな状況下で詠まれた句なのか。やはり「嫉妬系」でしょうか・・・?

『水妖詞館』を初めて読んでから10年以上経った頃です。「鸚鵡の謎」にあっけない決着がやってきました・・・。

饒舌の鸚鵡そのに続く!!

お楽しみに・・・・。
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