saison de karo 20

ぬきさしのならぬよ熟柿手にうけて 大石悦子 

ずくし


静御前の初音の鼓、あれを宝物として所蔵している家が、ここから先の宮滝の対岸、菜摘の里にある。・・・
「静御前がその鼓をぽんと鳴らすと、忠信狐が姿を現すと云う、あれなんだね。」
「うん、そう、芝居ではそうなっている。」
「そんなものを持っている家があるのかい。」
「あると云うことだ。」
「ほんとうに狐の皮で張ってあるのかい。」
「謡曲に『二人静』があるんで、誰か昔のいたずら者が考え付いたことなんだろう。・・・」

狐忠信


鼓を持っている家は、今は大谷姓を名乗っているけれども、昔は村国の庄司と云って、その家の旧記に依ると、文治年中、義経と静御前とが吉野へ落ちた時、そこに逗留していたことがあると云われる。・・・
気がついてみると、何時の間にか、私たちの行く手には、高い峰が眉ちかく聳えていた。

秋の山

大谷と云う家を尋ねると、すぐに分った。里の入り口から、五、六丁行って、河原の方へ曲った桑畑のなかにある、一際立派な屋根の家であった。・・・
田畑に面したふた間続きの出居の間の、前通りの障子を開け放しにして、その床の間付きの方の部屋に、主人らしい四十恰好のひとが座っていた。・・・どうみても一介の愚直な農夫である。
「お話がありましたので、先程からお待ちしておりました。」と、そう云う言葉さえ聞き取り難い田舎訛りで此方が物を尋ねても、はかばかしい答えもせずに、ただ律儀らしくお辞儀をしてみせる。
「お忙しいところをお妨げして済みませぬ。お宅さまではお家の宝物を大切にしていらしって、めったに人にお見せにならぬそうですが、不躾ながら、そのお品を見せて戴きに参ったのです。」と云うと、
「いえ、人に見せぬと申す訳ではありませぬが・・・。」
真っ黒な爪の伸びた手を膝の上に重ねて、云いにくそうに語るのである。・・・

鼓の胴


初音の鼓は、皮はなくて、ただ胴ばかりが、桐の箱に収まっていた。漆が比較的新しいようで、蒔絵の模様などもなく、見たところ何の奇もない黒無地の胴である。尤も木地は古いようだから、或いは、いつの代かに塗り替えたものかもしれない。

それは静ではなく、南朝の姫か、戦国頃の落人であったか、いずれにしてもこの家が富み栄えていた自分に、何か似寄りの事実があって、それへ静の伝説が紛れ込んだものかも知れない。

私たちが辞して帰ろうとすると、
「何もお構いできませぬが、ずくしを召し上がってくださいませ。」と、主人は茶を入れてくれたりして、盆に盛った柿の実に、灰の入っていない空の火入れを添えて出した。
ずくしは、けだし熟柿であろう。空の火入れは、煙草の吸殻を棄てるためのものではなく、どろどろに熟れた柿の実を、その器に受けて食うのであろう。

籠の柿



しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実のひとつを恐々手の平に載せてみた。円錐形の、先の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋のごとく膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと、琅玕の珠のように美しい。
主人が云うのに、ずくしを作るには、皮の厚い美濃柿に限る。それがまだ固く渋い時分に枝から捥いで、成るべく風のあたらない処へ箱か籠に入れておく。そうして十日程たてば、何の人工も加えないで自然に皮の中が半流動体になり、寒露のような甘みを持つ。これを食うには、半熟の卵を食うようにへたを抜き取って、その穴から匙ですくう法もあるが、矢張手は汚れても、器に受けて、皮を剥いで食べる方が美味である。

実る柿


そんな話を聞きながら、私は暫く手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらのなかに、この山間の霊気と日光が凝り固まった気がした。

結局大谷の家で感心したものは、鼓よりも古文書よりも、ずくしであった。友人も私も、歯ぐきから腸の底へ染み徹る冷たさを喜びつつ甘い粘っこい柿の実を貪るようにふたつまで食べた。

                  谷崎潤一郎 『吉野葛』



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