歳時記   
                    saison de karo 


                            ぬひあげてのかほるなり  杉田久女



                         菊 0



              三岡圭助がぬいと一緒になったのは、明治四十二年、彼が二十二歳、ぬい二十歳のであった。

              圭助は酒造を業とする旧家の三男に生まれたが、幼時、多少を好んだところから、

              父が美術学校に入れてくれた。

              もともと画家でをなそうという気持ちはなく、才能のないことは自分でよく承知していた。

              九州福岡の或る中学校の絵画の教師の口があると、彼はすぐに話に乗って九州にった。


                                                          松本清張 『枕』

                                       菊5


            彼は授業に熱心であった。

              しかし、これはぬいのに入るところでなかった。

                 ぬいは、圭助が展覧会の出品描こうとしないのを不満とした。

                      そのうち描く、と一寸逃れをしながら、圭助は海や川へ釣りに行ったり、

                             近所の碁打ちのところへ出かけたりした。
 
                                 さすがのぬいもめてしまった。


                                    菊2


              長女が生まれた。圭助は美人のを持った幸福な男と言う評をとった。

                         二年後には次女が生まれた。ぬいは忙しい母親となった。

              そのころ、彼等の間には小さながおこりがちであった。


                               闖企㍽_convert_20160925185444                                 


                                  ぬいが俳句にしたのは、国許にいる従姉のすすめに依った。

                         ぬいは俳誌『コスモス』に投句しはじめた。

               その主宰、宮萩栴堂が当代随一の俳匠であることは、俳句にのないものでも知っている。


                               菊 (2)


               ぬいの句は、栴堂門下の錚々の者とならんで巻頭にせまった。

                              この頃から栴堂がぬいのとなった。

               栴堂は客観写生をやかましく言ったから、ぬいが花鳥諷詠に心を引き入れられたのは当然である。

                              毎日、弁当持ちでを歩いた。


                    菊 松岡映丘 
                                                松岡映丘


                              であった。ぬいは布でつくった袋を持って頻りと出歩いた。

                帰って来ると、袋の中には、大小色々のの花が入っていた。

                            縁側にならべて陰干しにした。更に花をんできては干した。


                          菊 lattela
                                          lattela 


                                        何をするのだと圭助が訊くと、

                            先生に差し上げるです、と言った。

               これをするととても寿命がくなるんだそうです。

                           陶淵明の詩文のなかにあるそうです。

                                ぬいは菊枕をがかりで丁寧に作り上げた。

                               
                                              闖顔區_convert_20160925185521


               ぬいは菊枕を持ってした。

                           ぬいは片瀬の栴堂を訪ね、菊枕を呈した。

                                 栴堂は期待したほど喜ばず、ただ簡略なだけ一言いった。

                                        ぬいには案外であった。

                                       
                                         11591869 (2)
                


                                        ぬいは殆どのように栴堂に手紙を書いた。

                             先生はお優しい反面、たい方です。私は淋しくてしかたがありません。

               栴堂からの返事はなかった。


                              闖郭ominoheso_convert_20160925191844
                                             ominoheso

              

                             ぬいは昭和十九年、圭助に連れられて或る病院へ入った。

                           はじめは、俳句をつくらねばならぬなどと口走り、頻りと退院をせがんだが、

                         その後は、終日、一人で口の中でなにかいていた。

                    ある日、圭助が面会に行くと喜び、

               あなたにを作っておきました、と言って、布の袋を差し出した。

          圭助が中をのぞくと、朝顔の花がんでいっぱい入っていた。


                                     闖奇シ穆hodoco_convert_20160924193730
                                 

                                圭助は涙がでた。

                       狂ってはじめて自分のにかえったのかと思った。

               ぬいは昭和二十一年に病院内で死んだ。

                        看護日誌を見ると、『独言独笑』の記入がある。

                                彼女をよろこばすどのようながあったのであろうか。

                                                                        『枕』               
                              
                                   菊4

  
              
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