松下カロ


                                       Ⅱ         


                              つけば男しづかに倒れけり  吉村鞠子


                                       毬1


                    まり


               
                             の 『ユリウス』が一本の道ならば、

                            の第一句集『』には、流れ止まない水が見える。

               水中にはな言葉の四肢が存分に広げられている。


                                           毬0
                      

                  中村の愛弟子という来し方の持ち主である以上、

               の世界にはいつも苑子の面影が立つ。
                     
                                        
                        喪をかかげいま生み落とすのおとし子   苑子

                        の落とし子薄氷の久遠なら          毬子       

                                         
                     たつ
                                                                
                  ならば、言語はという大きな内に安住しているようだがそれは違う。

                                              毬9


                 句にも文字通りの描く放物線のように艶麗な、従って二つの定点が存在する。 
 

                                         楕円2

                           楕円1
                             
 
               一つの点は無論であり、もう一点に居るのは、苑子よりも苑子らしいである。



                           毬10


 
                        来て杉の余命が語られき        苑子

                        つけばしづかに倒れけり       毬子
                    
                                 いて樹を語るが、れ込んでくる。


                                                           毬12


                     思うには(奥底では)のように直截に詠うことをんでいたのではないか。

                     当には苑子よりも苑子的なのだ。

                           を詠う時も、


                                     毬6



                      黄泉に来てまだ梳くは寂しけれ     苑子

                      火祭や天地無用の踊る         毬子

                女身を持つこと自体をしむ風情の。ジャンヌ・ダルク宛ら自らのに火を放つ


                                                          毬8



                   このようなを晩年のはどんなにか頼もしくまた眩しく感じていたことだろう。


                                           毬2
                                                   毬1
                                                    れもん0                                                                                      
 
                  はセクシャルを隠さない俳人だが、彼女が拠ったのは時の前衛の中枢であった。

                            それは俳人の資質に対して男性的に過ぎた。

                   前衛がした暗喩を駆使して体感を詠う困難は、苑子の表現に屈折をもたらす。

               しかし、その屈折こそが言葉に表すことのできなかった身体の深部を言語化する端緒となる。

   
                         わが襤褸りて海を注ぎ出す       苑子

                         砂となり海松色の乳り出す       毬子 
                 

                         一方のは母胎感を触覚で語ることを豪も躊躇しない。

                            自らのの中にという一点を得、

                        今が遣りたいことはが遣りたかったことと重なっている。
                                    
              毬7

                                                  毬3


              先陣に立ったに習いつつ、することなく女身を詠う。

                       『』に隣りあう二句、


                   を浸す水晶あまかりし        毬子
                  
                    さみしさや乳房に飼ふ時間 
 

                     前者は(エクスタス)を、後者は(ソリド)を。

                 言的悦楽は、鳴かない、甘くさみしいの容をしている。


                                 毬2



                      もしも句を部分的と見る評者が在るとすれば、

              彼(多分男性?)は、

               女性の言葉は女性の一片を具象することで女性全域を体現できるであり得ることを知らない。

                の二定点を以って詠まれる句が、

              と本来それに反するものであったを双受する形を成すことも知らない。

                                                     2014年 「」11月1日 号

                                  毬4

               
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