松下カロ  

                        Ⅰ  


                     みな死んでい風船だけ残る    佐々木貴子



           赤い風船5

              

              の第一句集『』中、どの句にもの文字は遣われていない。


                                ユリウス1

                           赤い風船6
                                      
          
                 と言えばローマの執政カエサルが浮かぶが、
          
                          が何か、よりも、そこにがいないことを重視したい。 

                                          赤い風船2



                   の第一句集『』が浮かぶ。

                   この集も句内に「」の語を持たない。
                     
            題名に冠する以上、名称は集を統べる何物かである筈だが、もそれを明らかにしない。

                        

                                  赤い風船4

           楕円5


                   とは「二つの焦点(定点)からの距離の和が一定となる点の集合による曲線」を謂う。
                   
                       は一つの中心点に侍する従順な図型だが、
     
                           は相対する二つの点の関係性の上に成り立つ可動的ななのだ。



                         100パーセント4



      批評家は、を表現者の在るべき姿に擬えて以下のように述べる。

                  「何故にを描かないのであろうか。
            二点の内、一点だけは見ないふりをし、ばかり描いている連中ばかりだ。
      自分のの周辺が、いかなるを描いているかを示すということは、それほど困難なことであろうか。・・・」
                  

                                      赤い風船3 
 
                                          赤い風船8
          

 
              の周辺に自在なを描くためにある「もう一つの」。
      
              これは句の外に置かれた名称(題名)とよく似ている。
      
              はその定点で出合う。二人の作品は同じ方向を向いている。


               灰色ののかたちを見にゆかん   『
      
               みな死んで赤いだけ残る    『


                     

              彩と、「ゆかん」が持つ、「残る」が負う

                         言葉はび合っているように見える。
                                          赤い風船00
                                      赤い風船000                                                                                                  
                                       
                       
                 加えて両句に在るのは読者の主観を誘いだす広いだ。

         「」も「」も受け手の意識を固定しない。
       
                 の前に立つ鑑賞者のように、読者は「此処に在るのは何か」を考える。さらに、


                  の海は内股にこそ流れける     マサ子                   
             
                  内股と内股ふれてすこし         貴子                     
             
                  かぎりなくの黒い五月かな     マサ子                   
             
                  永遠の夏野を燃やしけり       貴子


       
                    語彙と世界観が通じている。これはであってでない。
 
                    は必ずしもを意識していなかっただろうが、
 
                    彼女が句集後半に辿り着いた場所は、マサ子が嘗て到達した場所に近いからである。


                                                     赤い風船0000
                                                                                                                                          

                     巻頭の、

                    が砂場に生えて人恋し        貴子              
     
            しい質感に始まり、終には、

                    ふってふって人間うすまりぬ          貴子
   
      
               の形而上化に至る『』は、が普遍を宿し、

               に連なるまでの、行と行の過程を示している。

             
                                              赤い風船0

                                                       
      
                『』に楕円がなく『』にユリウスがいないのは、

                     彼女たちののかたちが俳句の定点を捉えつつ、
       
                          俳句を離れたもう一点をも含むを成すことへの自覚のである。


                                                    2014年  「」11月1日 号

                       赤い風船1
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