中村苑子遠望   磯巾着は詠う その


踏まれどほしの磯巾着の死に狂ひ    中村苑子  『吟遊』




ルドン13


『俳句評論』創刊 ( 1958年 ) 以後の中村苑子の人生は、めくるめく文芸的生活、であったものの、同時に相当息苦しかったものと推察されます。当時は彼女の住所がそのまま誌の事務所であったようです。

・・・それでなくても「職住接近」( ? ) という生活はストレスが溜まるものです。生活を共にしていた高柳は不世出の編集者、批評家でもありました。

「作品はいつも一回かぎり。方法もいつも一回かぎり。」

高柳が折りにふれては言っていたという言葉。
ごもっともではありますが、実作者にとっては、なんとも気が重い話です。

辛辣な批評家は、すばしこい剽窃者でもありました。
書きかけの苑子の句作ノートに気に入った言葉を見つけると、
「有無を言わさず強引にひっさらって」 ( 『俳句自在』中村苑子) いくのですから、気の休まる暇もありません。
句に打ち込む気持が強かっただけに、俳人は時々句作に、また生活に行き詰まった心理状態に陥ることがあったのではないでしょうか。

聞くところに拠ると個人的にも高柳は「良き家庭人」というタイプではなかったようです。


               
     イソギンチャク2





クレー3


     高柳重信



「磯巾着」の句がそんな「スランプ」の時につくられたかどうかは解りません。
高柳との直接の「いきさつ」を反映しているかどうかも判然としません。ただ堪えきれずに叫んでいるような、いろいろな柵を捨ててしまおうともがいているような、切迫した思いのこもっていることは確かです。

我慢や怒り、閉塞感を背負って、句は様々に展開されます。

野火哮るくらやみに帯解きをれば       1955年
いんいんと頭蓋に花火咲き散るや        『四季物語』
草臥れて鬱の山川死にどころ
身の要溶けしごとくよ海胆刺して        『吟遊』
狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる        『水妖詞館』
臼唄や鬼火の見ゆる眼となりて

これらの句に、直接インスパイアしているのは、やはり鷹女の句でしょう。

女性が生きるエネルギーとして振り絞るような「狂い」の句は、鷹女の、特に晩年に顕著です。

野火狂ふ不死身の孔雀火に狂ひ       『羊歯地獄』
咲き散る蒼き後頭部の仕掛け花火
巌凍る 怒髪の海胆を置き曝し
千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き              遺作
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉       『魚の鰭』



イソギンチャク



ルドン8


            




熟年以降、苑子は鷹女に戻っていきます・・・。

鷹女は明治、苑子は大正生まれ、
彼女等の世代にとって50代以降は、もはや「老年」、容色は衰え、子供は巣立ち、余命にやるべき何が残されているか、という考え方も珍しいことではありませんでした。

苑子もこの頃、幾らか醒めた目で来し方を振り返ることがあったでしょう。

しかし、当時70代を迎えていた鷹女は、他の誰も寄せ付けず、自らを追い詰めていくような破滅的な句作りに没頭していました。その姿勢には迷いがありません。

俳人の「流れ」として、老年になれば、それまでの作句傾向を「確認し」たり「繰り返し」たり、に終始することが多いのですが、(それが必ずしも悪いとも言えませんが)鷹女晩年の句には、「昨日の自分を今日は否定する」ような激しさが見られます。句集『羊歯地獄』、『橅』などの中で、俳人は「狂う」ことも辞さず、先へ先へと行こうとしています。見事と言う他ありません。




           ルドン12



               
               

風花の窓開きなば狂ふべし     『羊歯地獄』
狂ひ凧宙に狂はせ歔欷
狂ひても女 茅花を髪に挿し

「歔欷」は「すすりなき」でしょうか。

また、『羊歯地獄』の特に後半、

噴煙やしはがれ羊歯を腰に巻き
蘖ゆる 切断局部微熱もち
蛸が嘆くよ肢に指輪を嵌めつらね

などの句に至っては、当時の一般的読者は、「・・・・・・。」の反響、鷹女のこの種の晩年句は、批評的には、無視されていた、というのが現実のようです。




                     ルドンい



            


しかし、誰よりもそれらの句を読み、栄養としていたのは、他ならぬ中村苑子でした。

影響を受け続けてきた先輩作家が、年齢を重ねるほど、目覚しく変容し、強くなってゆくことに、苑子はどんなに鼓舞され、また勇気付けられたことでしょう。本当に苦しい時に・・・。

苑子のこうした謂わば「異形の句」は、鷹女句、特に「老年を暴れる」句を読むことで得た気力から生まれてきたのではないでしょうか。敢えて鷹女と重複する言葉に挑んでいるのも、単なる「まねごと」ではなく、自分こそ、鷹女のバトンを引き継ぐ者であるのだ、という密かな、しかし強烈な自負の表れとも見えるのです。

藤垂れてこの世のものの老婆佇つ      鷹女 遺作
赤岬何を見んとて老婆立つ        苑子『四季物語』

重信の「論」に、苑子は鷹女から渡された「情」の句で立ち向かっているかのようです。



          ルドン6


苦しい私情が伺われる句の中にも、中村苑子はどこかで、自分自身をじっと看視しています。
句のこと、人間関係のこと、悩んだり、狂ったりしながらも、いつも、何かを問いつづけているような「知的な必死さ」が滲んでいます。「知」と「必死」を支えているのは、説得力のある比喩、一連の中での句の「位置取り」や間合いの良さ、バランス、リズムなど・・・。

鷹女句のエッセンスを引継ぎながら、苑子は苑子としての句世界を開花させています。

秋蛍飼ひ殺されてまだ死ねず    『吟遊』



             ルドン11




中村苑子は潜伏期間の長い作家でした。

いろいろ事情はあったのでしょうが、俳人は60歳を越えるまで句集を持ちませんでした。本質的に考えれば、それほど自身の仕事を「まとめる」のは、厳しいことなのでしょう。『水妖詞館』上梓まで、彼女は「知る人ぞ知る」といった存在で、つつましく高柳の後ろに控えた、『俳句評論』のうちうちの人物であるといった見方をされていました。一面、誌の「女帝」的立場も保持しつつ・・・。

「この作家は急に評判になっちゃったようだけれど、・・・」
1981年に出版された『現代俳句体系』における大野林火との対談で、安住敦が苑子を評した言葉です。

「磯巾着」その他の破天荒な句は、『俳句評論』など、最先端で華々しく論戦を繰り広げる高柳とその一門( ? ) を縁の下で支えながら、句作では、真っ先に厳しい批評にさらされる、というジレンマを色濃く反映しています。

こうした「発散俳句」を詠む時、作家は、きっと何か心に期するものがあったに違いありません。
屈した気持の「ガス抜き」のような「異形の句」は、あまり語られていません。しかしこうした羽目を外した句こそ、苑子俳句の核となる可能性を秘めています。

俳人は長い年月をかけて「死に狂い」する時を図っていました。
彼女はすぐれた先輩の影の中を行きつつ、自分はどこへ行くべきかを考え続けていたのでしょう。
そして、遠くへ歩いて行ったのでした。


        
                 ルドン15

               
スポンサーサイト

ADD COMMNET

title:

name:

mail:

url:

comment:

password:

TRAKBACK URL

RECEVED TRAKBACKS