カロ歳時記
saison de
karo 157 独楽廻しあたりにものの影のなき 齋藤愼爾
少年というものは独楽なのだ。
廻りだしてもなかなか
重心が定まらない。
傾いたままどこへころがってゆくかわからない。
何しろ一本足で
立っているのだから。
三島由紀夫 『独楽』

一人の男子高校生が、三時間の余も塀外に立っていると家政婦が言った。
・・・紹介状がない人間には
会わない、と私は言った。
家政婦はすでに少年に
同情しているものとみえ、
少しでも
会ってやってはどうか、と言った。
前田昌良 それでは玄関の椅子に待たせておけ、
外出間際の
五分間だけ会うと伝えてくれ、と家政婦に言った。
玄関へ出てみると、
少年は椅子に
きちんと座っていて、尋常にお辞儀をした。
どこから来たか、と聞いた。少年はS市の名を言った。
明日はS市へ帰らねばならない、今日中にどうしても
先生に
会いたいと思って来た、と言った。
大山菜々子 ・・・何か
文学の話できたのかい。
そうじゃありません。少年は
きっぱりと言った。
私は時計を見て・・・何しろ時間がない。じゃ、こうしよう。
君のしたい質問がいくつかあったら、
その中で一番ききたい質問を一つだけしてごらん。
何でも答えてあげるから。
少年はなお
黙っていた。
阿修羅 質問は何もないのか。と私はややもてあましながら、
もう一度時計を見た。
あります。
じゃ、一番ききたいことを一つだけ聞いたらどうだ。
少年は黙っていた。
目尻にやや力が入ったかと見る間に、
・・・一番ききたいことはね、・・・先生はいつ
死ぬんですか。
この質問は私の肺腑を
刺した。
三島由紀夫 十代 私が何か滑稽なしどろもどろの
返答をしたことは言うまでもない。
・・・時間が来たので、私は少年を促して帰らせ、自分は約束の外出先へいそいだ。
しかし少年の質問の
矢は私に刺さったままで、やがて
傷口が化膿をした。
シャルダン 独楽廻し 少年はただ単に、大人をからかって、おどかしてやろう、という
魂胆から、
悪戯心でそんな質問をしたのかもしれない。
が、私は経験上、少年期というものがどんなものであるかを多少
知っている。
少年というものは
独楽なのだ。
前田昌良 ・・・大人と違うところは、とにかく
廻っているということである。
廻ることによってようやく立上れるということである。
廻らない独楽は死んだ独楽だ。
ぶざまに寝ているのがいやなら、どうしても
廻らなければならない。
安徳天皇遊独楽図 しかし独楽は巧く行けば、
澄む。
独楽が
澄んだときほど、物事が
怖ろしい正確さに達するときはない。
いずれまた惰力を失って
傾いて
転んで、
回転を止めることはわかっているが、
澄んでいるあいだの独楽には、何か不気味な能力が
具わっている。
・・・それはもはや独楽ではなくて、
何か透明な
凶器に似たものになっている。

あの
質問をしたとき、少年はたしかにそこにいたのだが、
多分少年の独楽は
澄んでいたから、
少年はそこにいなかったことも確かだった。
今した質問を、次の瞬間には
忘れてしまっていたかもしれない。
『独楽』
前田昌良