中村苑子遠望   磯巾着は詠う その


踏まれどほしの磯巾着の死に狂ひ    中村苑子  『吟遊』




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『俳句評論』創刊 ( 1958年 ) 以後の中村苑子の人生は、めくるめく文芸的生活、であったものの、同時に相当息苦しかったものと推察されます。当時は彼女の住所がそのまま誌の事務所であったようです。

・・・それでなくても「職住接近」( ? ) という生活はストレスが溜まるものです。生活を共にしていた高柳は不世出の編集者、批評家でもありました。

「作品はいつも一回かぎり。方法もいつも一回かぎり。」

高柳が折りにふれては言っていたという言葉。
ごもっともではありますが、実作者にとっては、なんとも気が重い話です。

辛辣な批評家は、すばしこい剽窃者でもありました。
書きかけの苑子の句作ノートに気に入った言葉を見つけると、
「有無を言わさず強引にひっさらって」 ( 『俳句自在』中村苑子) いくのですから、気の休まる暇もありません。
句に打ち込む気持が強かっただけに、俳人は時々句作に、また生活に行き詰まった心理状態に陥ることがあったのではないでしょうか。

聞くところに拠ると個人的にも高柳は「良き家庭人」というタイプではなかったようです。


               
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     高柳重信



「磯巾着」の句がそんな「スランプ」の時につくられたかどうかは解りません。
高柳との直接の「いきさつ」を反映しているかどうかも判然としません。ただ堪えきれずに叫んでいるような、いろいろな柵を捨ててしまおうともがいているような、切迫した思いのこもっていることは確かです。

我慢や怒り、閉塞感を背負って、句は様々に展開されます。

野火哮るくらやみに帯解きをれば       1955年
いんいんと頭蓋に花火咲き散るや        『四季物語』
草臥れて鬱の山川死にどころ
身の要溶けしごとくよ海胆刺して        『吟遊』
狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる        『水妖詞館』
臼唄や鬼火の見ゆる眼となりて

これらの句に、直接インスパイアしているのは、やはり鷹女の句でしょう。

女性が生きるエネルギーとして振り絞るような「狂い」の句は、鷹女の、特に晩年に顕著です。

野火狂ふ不死身の孔雀火に狂ひ       『羊歯地獄』
咲き散る蒼き後頭部の仕掛け花火
巌凍る 怒髪の海胆を置き曝し
千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き              遺作
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉       『魚の鰭』



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熟年以降、苑子は鷹女に戻っていきます・・・。

鷹女は明治、苑子は大正生まれ、
彼女等の世代にとって50代以降は、もはや「老年」、容色は衰え、子供は巣立ち、余命にやるべき何が残されているか、という考え方も珍しいことではありませんでした。

苑子もこの頃、幾らか醒めた目で来し方を振り返ることがあったでしょう。

しかし、当時70代を迎えていた鷹女は、他の誰も寄せ付けず、自らを追い詰めていくような破滅的な句作りに没頭していました。その姿勢には迷いがありません。

俳人の「流れ」として、老年になれば、それまでの作句傾向を「確認し」たり「繰り返し」たり、に終始することが多いのですが、(それが必ずしも悪いとも言えませんが)鷹女晩年の句には、「昨日の自分を今日は否定する」ような激しさが見られます。句集『羊歯地獄』、『橅』などの中で、俳人は「狂う」ことも辞さず、先へ先へと行こうとしています。見事と言う他ありません。




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風花の窓開きなば狂ふべし     『羊歯地獄』
狂ひ凧宙に狂はせ歔欷
狂ひても女 茅花を髪に挿し

「歔欷」は「すすりなき」でしょうか。

また、『羊歯地獄』の特に後半、

噴煙やしはがれ羊歯を腰に巻き
蘖ゆる 切断局部微熱もち
蛸が嘆くよ肢に指輪を嵌めつらね

などの句に至っては、当時の一般的読者は、「・・・・・・。」の反響、鷹女のこの種の晩年句は、批評的には、無視されていた、というのが現実のようです。




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しかし、誰よりもそれらの句を読み、栄養としていたのは、他ならぬ中村苑子でした。

影響を受け続けてきた先輩作家が、年齢を重ねるほど、目覚しく変容し、強くなってゆくことに、苑子はどんなに鼓舞され、また勇気付けられたことでしょう。本当に苦しい時に・・・。

苑子のこうした謂わば「異形の句」は、鷹女句、特に「老年を暴れる」句を読むことで得た気力から生まれてきたのではないでしょうか。敢えて鷹女と重複する言葉に挑んでいるのも、単なる「まねごと」ではなく、自分こそ、鷹女のバトンを引き継ぐ者であるのだ、という密かな、しかし強烈な自負の表れとも見えるのです。

藤垂れてこの世のものの老婆佇つ      鷹女 遺作
赤岬何を見んとて老婆立つ        苑子『四季物語』

重信の「論」に、苑子は鷹女から渡された「情」の句で立ち向かっているかのようです。



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苦しい私情が伺われる句の中にも、中村苑子はどこかで、自分自身をじっと看視しています。
句のこと、人間関係のこと、悩んだり、狂ったりしながらも、いつも、何かを問いつづけているような「知的な必死さ」が滲んでいます。「知」と「必死」を支えているのは、説得力のある比喩、一連の中での句の「位置取り」や間合いの良さ、バランス、リズムなど・・・。

鷹女句のエッセンスを引継ぎながら、苑子は苑子としての句世界を開花させています。

秋蛍飼ひ殺されてまだ死ねず    『吟遊』



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中村苑子は潜伏期間の長い作家でした。

いろいろ事情はあったのでしょうが、俳人は60歳を越えるまで句集を持ちませんでした。本質的に考えれば、それほど自身の仕事を「まとめる」のは、厳しいことなのでしょう。『水妖詞館』上梓まで、彼女は「知る人ぞ知る」といった存在で、つつましく高柳の後ろに控えた、『俳句評論』のうちうちの人物であるといった見方をされていました。一面、誌の「女帝」的立場も保持しつつ・・・。

「この作家は急に評判になっちゃったようだけれど、・・・」
1981年に出版された『現代俳句体系』における大野林火との対談で、安住敦が苑子を評した言葉です。

「磯巾着」その他の破天荒な句は、『俳句評論』など、最先端で華々しく論戦を繰り広げる高柳とその一門( ? ) を縁の下で支えながら、句作では、真っ先に厳しい批評にさらされる、というジレンマを色濃く反映しています。

こうした「発散俳句」を詠む時、作家は、きっと何か心に期するものがあったに違いありません。
屈した気持の「ガス抜き」のような「異形の句」は、あまり語られていません。しかしこうした羽目を外した句こそ、苑子俳句の核となる可能性を秘めています。

俳人は長い年月をかけて「死に狂い」する時を図っていました。
彼女はすぐれた先輩の影の中を行きつつ、自分はどこへ行くべきかを考え続けていたのでしょう。
そして、遠くへ歩いて行ったのでした。


        
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中村苑子遠望     磯巾着は詠う   その


踏まれどほしの磯巾着の死に狂ひ    中村苑子   『吟遊』


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中村苑子(1913~2001)は、昭和後期に活躍した俳人。

翁かの桃の遊びをせむと言ふ

春の日やあの世この世と馬車を駆り

来し方や東西南北ただ遠樹

などの、端正、妖艶な句風で知られています。




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踏まれどほしの磯巾着の死に狂ひ

「死に狂ひ」。

中村苑子の作品として、掲句を思い浮かべるひとは、まずいないでしょう。
しかし、私はこの句が忘れられません。苑子の内面世界にとって、大変重要な句であるという気がしてならないからです。



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「踏まれどほし」。

あまり聞かない言葉遣いです。七七五の破調。
「どほしの」四音の内三音は「オ」音で暗く、「ずーっと踏まれてきました。」という重苦しさを感じさせます。この頭でっかちな「踏まれどほし」+「の」から、「磯巾着」+「の」、さらに下五「死に狂ひ」へと、序破急な句の展開は、切れる暇もありません。
摂津幸彦か、江里昭彦か、男性俳人がごく若い頃に作った句のようです。磯巾着には、性的なイメージを喚起される向きもあるでしょう。個人的には、むしろ我慢の辛さ、耐え切れない逆境から一転、反撃に出る意志のようなものを感じます。


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中村苑子は毎日窮屈だったのではないかしら・・・。と思うことがあります。

彼女は1958年、長年のパートナーとなる高柳重信(俳人・批評家)と共に、「俳句評論」を創刊しています。

「俳句評論」は、大きな所帯でこそありませんでしたが、この時期を代表する句誌のひとつ。四半世紀に亘って所謂前衛俳句を牽引しました。

数十年に及ぶ多士済々の俳人、文人達との交流。富沢赤黄男。高屋窓秋。苑子にしてみれば、「頭を下げどほし」の生活でしょうか。しかも「俳句評論」は1967年まで、三橋鷹女をいただいていました。恐れ多くも、頭が痛くなりそう・・・。
冗談はさて置き、中村苑子が最も影響をうけたのは、なんと言っても三橋鷹女と高柳重信のふたりです。「これは鷹女風、」「こっちは高柳ばり、」と区別出来るほどです。

祭笛のさなか死にゆく沼明かり
は鷹女、

行きて睡らずいまは母郷に樹と立つ骨
は重信、というように・・・。


               

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                 三橋鷹女  綺麗。




鷹女への傾倒は、早くから始まっています。昭和11年、苑子20代の頃、

ひるがほに電流かよひゐはせぬか 東鷹女(当時の鷹女)
(『向日葵』に収められた句ですが、苑子は『俳句研究』誌上で目にしています。) をはじめて読み、
「・・・それまで私の身の内で眠っていた何ものかが、急に呼び覚まされ、にわかに動き出した・・・」 と思ったといいます。



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以来、

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 鷹女『向日葵』
夏痩せて無口となりし立居かな 苑子1950年作

秋の蝶です いつぽんの留針です 鷹女『羊歯地獄』
留針を真昼の蝶にしかと刺す 苑子『花狩』

亡母去る葱の白根に土かぶせ 鷹女『橅』
母の忌や母来て白い葱を裂く 苑子『水妖詞館』

モチーフ、季語の捉え方、リズム。ちょっとした言い回しから思想まで、あらゆる場所に鷹女の面影を感じ取ることが出来ます。

よく知られているのは、

鳴き急ぐは死に急ぐこと樹の蝉よ 鷹女『羊歯地獄』
鳴き急ぎ死に急ぐなよ初蝉よ 苑子『花隠れ』

「鷹女に対抗した」というよりは、「鷹女と一体になった」と言った方が良いような、中村苑子晩年の一作です。



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高柳との出会いはずっと後のことでした。

苑子自身に寄る「略年譜」を読むと、
「1954年、花柳章太郎の句会『矢吹会』に入会し、会の世話役高柳黄卯木 ( 重信の父 ) を識る。・・・」 の記述。



また、
「昭和29年( 1954年 )ごろ、神田古本屋街の『きゃんどる』という喫茶店で、」 偶然出会ったのが、高柳との初めての邂逅であった、とも書いています。

三橋鷹女が苑子に俳句それ自体をもたらしたのだとすれば、高柳重信との出会いが彼女にもたらしたものは「方法」であった、と言って良いでしょう。

高柳と出会う以前に、構造的な冒険を試みている句は ( 現在読むことが出来る句に関しては、 ) 殆ど無いように思われます。俳句の伝統的な作法に疑問を持つということは ( 基本的には ) 無かったようです。それはそれとして、気持の良い句、嫋々として魅力的な句はたくさんあります。

野は昏れて初蝶帰るところなし
僧形のあとさきとなり麦の中
墓に挿すものなかりけり野分来て
咆えてもみよ檻の中まで寒月光      1942~53

二句目、四句目などには、すでに、高柳の触発に充分答えることの出来る柔軟さを垣間見ることが出来ます。


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高柳重信と出会ったことで、彼女の作品は変わってゆきます。

中村苑子の句に感じられる最も早い高柳重信の影響は、

待ちに待ちたる彫像が腕を下ろす日 1956年
ゆふべ死んで炎天を来る黒い傘

あたりからでしょうか。
以来、高柳との二人三脚による華麗な句作が展開することになります。同時に、三橋鷹女を永遠のミューズとして信奉する気持は苑子から去りませんでした。

句作のバックボーンとなった、三橋鷹女への憧憬、高柳重信によって目を開かれた新しい方法への挑戦、地道な表現技術。花が水を吸うように、たくさんのものを吸収し尽くしていったであろう昭和30年代 ( 1955年 )以降・・・。

『水妖詞館』上梓は1975年ですから、20年の間に、中村苑子の中で、

( 三橋鷹女+高柳重信 ) × ÷・・・=苑子自身の句=「独自な作風」
とでもいうような公式が証明されていったのでしょうか。

三橋鷹女と高柳重信。
ふたつの ( まったく異なる ) 大きな才能がどのように苑子俳句にかかわったか、どこかでふたりの影響にきっぱりと区切りをつけて苑子自身になった、ということはおそらく最後までなかったのでしょう。
俳人の心を覗き込むことは出来ませんが、何か手がかりになるものは・・・と考える時、浮かんで来るのが冒頭に揚げた句です。

踏まれどほしの磯巾着の死に狂ひ


 磯巾着は詠う その弐へ続く!!



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Chat du mois 今月の

Chat avril 月のねこ

鉄板に余熱の効いて猫の恋 内田美紗


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ブリック   「神経質な顔つきだな。猫みたいに。」

父      「そうだ、猫みたいに神経質だ。」

ブリック   「やけたトタン屋根の上の猫みたいに・・・・。」




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ブリック        「何か言ったか?」

マーガレット     「言おうとしていたところ。私・・・さびしい。とっても。」

ブリック        「人間誰でもさびしいものさ。」

マーガレット     「愛している人と一緒に暮らすほうがずっとさびしい。
           ・・・ひとりぼっちで暮らすよりも。・・愛している人に愛されないとしたら。」



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                     映画「Cat on a Hot Tin Roof」のエリザベス・テーラー とってもきれい。



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マーガレット   「やけたトタン屋根の猫が勝つって、どういうことかしら。知りたいわ。
           ・・・多分その屋根からおりないで、できるかぎりがんばり通すことね。」


                  テネシー・ウィリアムズ 「やけたトタン屋根の上の猫」







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            降りないニャン。