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 tubame2 (3)oosyou さんこんにちは 
              Bonjour Monsieur. 


                     手に提げし土につく  正岡子規
        これk

                        手に提げし土につくうれしさよ

            1899年(明治32年)の作品です。  この句から、思い出すのは、あの、

              瓶にさすの花房みじかければたたみの上にとどかざりけり

         教科書にも出ていましたネ。 こちらは2年後、1901年(明治34年)作。 

                子規の死はもう翌年にっていました。

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                 近年見つかった子規像。 画家中村不折の手になるもの。  

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                     夕餉したため了りて仰向けに寝ながら、左の方を見れば、

        机の上にを活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。

            にもうつくしきかなとひとりごちつつ、

             そぞろに物語の昔などしのばるるにつけて、あやしくも歌心なん催されける。 
                       
                  なみの花をし見れば紫の絵具取り出で写さんと思ふ

                瓶にさすの花ぶさ一ふさはかさねし書の上に垂れたり

                      正岡子規  1901年(明治34年) 。    

                物語の昔。 物語とは、物語の藤壺女御のことか。

            病臥の子規は、机や床の間に飾られたを、床からながめていることが多かったのですね。

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          木の末をて藤の下りけり  子規

                     こちらは1896年(明治29年)の作。 

      とは、外部からの力を受けて折れ曲がること。 幹を圧するように豊かな藤の花の量感。 
               
              子規は戸外にち、花房を見上げているとも受け取れます。            

               この前年、日清戦争に記者として従軍、の船上で喀血。

                  なんとか帰国、周囲の思いやりい看病もあって、恢復しますが、

                 行動的な彼の人生はきく転換してゆきます。

                     色絵藤花文茶壺syou
                                       野々村仁清 色絵藤花文茶壺


                   は17世紀半ば、京都で活躍した陶工。

           元禄文化に湧く京の町衆に好まれた美しい絵付けの完成者として知られています。

     もっとも著名な作品のひとつ、は、

                壺にかに活けられた藤が垂れさがっているよう。

       仁清と子規、をじっと見つめ、作品につくりあげようとした気持ちは同じですね。

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                                           茶壷の藤花アップ

        藤棚に垂れた藤の花は、花房をに揺らしています。    

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                   手に提げし藤土につく

               子規は、もうあまり遠出できなくなくなることを自らしていました。

   庭先にでること、自分の足で立つことも、、やっておかねばならない大切なこと。

       手に持った藤の花がにとどく様子をみることは、 残された健康のしるしでした。

                      うれしさ、という素朴な言葉に、その充足感があふれていますね。

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                 一方、室内の花瓶に活けられた藤は、の中でじっと動きません。

             瓶にさすの花房みじかければたたみの上にとどかざりけり

      どこかにあきらめを感じさせる〈〉。

                       静止した藤花。 悲しくも、澄み切った歌境です。 
                                            
          藤花図_右隻藤花図屏風」 (右隻) 円山応挙 安永5年 1776年 44歳 
                                        円山応挙 藤花図

    円山応挙は仁清よりも1世紀ほど後、日本絵画に本格的なをもたらした人です。

         応挙の藤はみごとに客観された藤。 すぐそこに咲いているみたい。

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                   木の末をて藤の下りけり   1896年

               手に提げし土につくうれしさよ  1899年

    瓶にさすの花房みじかければたたみの上にとどかざりけり  1901年

                 早く来た子規の晩年。  藤の花は年々され、

                         やがて明治の大きなとして歴史に咲くようなりました。 

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         、藤の句、短歌も。
    
                            開きしままの夜となりにけり  桂信子 
                               昼から夜へ、の時間が流れて。

                   藤房のゆる限りの雨ふくむ 橋本多佳子
             堪えているのは、もちろん
                                                                                                    やさしさの時にたしの花 栗原公子  
          やっぱり。  

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                 またすこし小寒くなりぬ  高浜虚子
                          藤にはどこかたい風情もありますね。

               雨あとの露しづくする庭のへに垂るるなみの花  藤沢古実
                             見ている人の思いもしています。

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      手に提げし土につくうれしさよ  正岡子規
            はどこにもある。 庭に立つことにも、藤の花が土にふれることにも。

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            tubame2 (3)oosyou   さん、ではまたね。  カロ 

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 tubame2 (3)oosyou さんこんにちは 
               Bonjour, Monsieur. H

                         島々にをともしけりの海  正岡子規

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                ☆ ☆ ☆ ☆ ☆   ☆彡2 (2)小  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 
 
                        やわらかな春の海に静かながおとずれます。

          1897年(明治30年)、すでに寝たきりに近く、遠出ができなくなっていた子規。 

             この大きな風景をから着想したのでしょう。

         故郷に近い瀬戸内海のな海を思い出したのでしょうか。

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               1900年 明治33年の子規  床の間を背に 花瓶には何かの枝
               が顔を挙げた風情、病体とはいえ、精悍な感じです。

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        箱根路をわが越え来れば伊豆のや 沖の小島にのよる見ゆ    源実朝
                                  
                子規句と近いですね。 実朝は街道にあって馬上から海を見、

                       子規はよく似た景観をの中で空想していました。
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                                 伊豆の海  初島 向こうは大島

                           nami1 (2)

                (1192~1219)は頼朝の次男、そして鎌倉幕府三代将軍。
               
                      頼朝の死後、政権は安定しません。 

                  母の実家北条氏と確執のあった頼家は、将軍職を負われ、殺害されます。 

            わずか12歳で将軍となった実朝。 彼は夢見がちなに成長しました。

                                           syounenndesune (2)

              tidori1 (3)syou  中国へ渡る望みを実現するため、帆船をつくらせようとして頓挫、

                        新しい世界でになりたかったのか・・。

     一方、藤原に学び、万葉集、古今集、さらに編纂中であった新古今集にも親しみます。

           素朴なのあふれる歌をものしますが、政争の波から逃れることは適わず、

                           兄頼家の遺児、甥にあたる公暁のに倒れました。

                              1219年1月、満26才でした。

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                         松岡映丘  源実朝                 

                子規はのファン。 の歌は愛唱歌でした。 

                  ☆ ☆ ☆   ☆彡2 (2)小  ☆ ☆ ☆      

         実朝という人は三十にも足らで、これからという処にて、

           あえなき最期を遂げられ誠に残念いたし候。  あの人をして今活かしておいたなら、

         どんなに名歌をたくさんしたかも知れ申さず候。               

           「よみにうる書」において、実朝を手放しの褒めようです。

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                  実朝像。 未亡人が彼の面影を刻ませたもの。 鎌倉木彫の

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       十年生きられたなら、

  どんなに多くのことができるか。 子規がに自分を重ねているのが、分かるような気がしますね。

                           dota3eien (2)

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      わがは百島めぐりゆくへもしらぬかたに鳴くなり     実朝
           百島はももしま。 千鳥の鳴き声は恋人をぶ声か。

              上村松篁
                                上村松篁  夕千鳥           

 世の中はつねにもがもな漕ぐ海人の小舟の綱手  実朝
                おなじみ百人一首より。  ちいさな水音がこえてきます。

     諏訪さん15こっち

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            アイヴァゾフスキー  虹  左下から画面いっぱいに虹がかかっています。

   のいそもとどろによするわれてくだけてさけて散るかも  実朝
                  こちらは大浪がとどろく!
                                              

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                君が歌のき姿は浸々と湛ふる海の底の玉  子規
                       実朝を詠んだ子規の歌。 歌も海も色。
            
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                                                              箱根 早春
               
         は箱根路をしました。 将軍の守り神、箱根権現に参詣することが目的でしたが、

        権謀術策渦巻く鎌倉を離れ、のうつくしさに心を遊ばせたかったのでしょう。

                     三浦半島、三崎へも足をのばしています。

          の向こうに何があるのか、当時の人々は何も知りませんでした。

               でも、海をえて行きたかったのですね。

                      travelogue 観音崎
                                         観音崎  travelogue


                子規も同じでした。 英国留学中のへこんな手紙を。


                     が昔から西洋を見たがっていたのはも知ってるだろう。

                     それが病人になってしまったのだから残念でたまらないのだが、

                     の手紙を見て西洋に行ったような気になって愉快でたまらぬ。

                     もし書けるならの目が明いている内に今一便よこしてくれぬか。

                        1901年  子規よりロンドンの漱石へ


                漱石も子規にい手紙を書いて励ましますが、

                      子規は翌1902年に死去。 再会はかないませんでした。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

                                    かもめ2
                                                      海の果てまで飛んでいきたいネ。
                       tubame2 (2)oosyou  
              
        箱根路をわが越え来れば伊豆のや 沖の小島にのよる見ゆ    源実朝

                       島々にをともしけりの海  正岡子規

                          数百年の時を越え、 が見ている海。

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                    さん、では、またね。  カロ
                                                                                                          tidori1 (2)syou
 
   tubame2 (3)oosyou さんこんにちは 
          Bonjour Monsieur. H


                             ともせば雛にあり一つづゝ  正岡子規
    IMG_4856 (2)
                                                          ? ふたつある!

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   とは、見つめ合うことではなく、で同じ方向を見ることである。   サン・テグジュペリ

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                         あら、こんにちは。 一年ぶりね。
                                そうだね。 元気だった?
                    
   
                小包にてさし上候。
            
            熊本の雛祭は陰暦に違いないと家人のはからい也。

            こんなもの陳腐なるやも存ぜず候えども・・・。
                                          
                                     熊本市内坪井町 夏目金之助様

                                       下谷根岸  正岡常規より
  
                   
                                      ひな03

         
   1900年(明治33年)、に赴任していた漱石へ子規が書いた手紙です。

           さなお雛様。 どんな品だったのでしょうね。

                            IMG_2040 (2)

   わたしのささやかなお雛さまコレクションより いちばん小さなおふたり 2センチくらい

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          江戸っ子の漱石は東京がしかったようです。 子規も遠く離れた友人を気遣っています。 

 今のように飛行機で数時間というわけにも行かず、東京と熊本は外国みたいにかった。

    子規のお母さんか妹さんがあつらえた人形は、前年生まれた漱石の長女ちゃんへのプレゼント。

                            受け取った漱石はうれしかったことでしょう。

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            子規と言えばこの写真。 彼が着ている着物はこんな感じのだったのでは? 
                      少し派手でしょうか。 それにしてもこのアングル、
                                   竹中直人サンに似てますね~。


         子規は沢山の作画を遺しています。 雛人形のがないのは残念。  momoA001itibann.png

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                        これは、の絵。  切れ長の眼が可愛い。

                                                  ひな1

          同じころ、にも子供が生まれています。 さん。 命名は子規でした。

      日に日に病の篤くなってゆく子規にとって、健康とチャンスにめぐまれたたちの幸福は、 

    よろこびであると共に、うらやましく、ちょっとしいことであったのかも知れません。

                 子規の雛の句には、観者であることの悲しみが滲んでいます。

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          の影桃の影にかさなりぬ  子規
      昼も見、夜もまた見、動かないお雛様に時間が過ぎてゆくのを感じて・・。

          一枝や床の上  

                           ひな5
              
        1900年はあわただしい年でした。 漱石はイギリス留学が決まり、久しぶりに。 

      八月、子規を訪ねますが、それはふたりのの会見でした。

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             雛あられにうけ口を寄せ  高浜年尾
                  子規が名付け。 年尾さんの句。 けっこうつやっぽいですネ。

            雛かざりありその前に  星野立子
       虚子の次女の句。 彼女が生まれた1903年、子規はもうこの世にいませんでした。

                                           ひな6siki 

               ひな9    
                              
      酔ひて見る官女にのありにけり   星野紗一
      にしか詠めない雛の句。
                 子規が読んだら・・・。 、とか言うかも。

            雛の肌はんばかり納めける  木村たかし
      お人形というよりも、の女性か。
                       雛は生きているようですね。

        雛の唇紅まま幾世経し  山口青邨
              これも子規のに入りそう?

  momoA001itibann.png     男性詠者たち、雛にかなりしてます。 一方、女性は・・・。

                                   IMG_3570 (2)

 雛の夜の母打つ父をいて  中村苑子
    忘れられない雛の句です。                         

                   のうれひがほある雛かな   加藤三七子
                  雛は女性の人生とみたい。

        を少し打ちやる流し雛  山崎百花  
             雛はうつくしくって流れてゆきました。
                           
                                                   nami1 (2)

                               縺イ縺ェ・廟convert_20160221221757
             tubame2 (3)oo                                 
  ともせば雛にあり一つづゝ  正岡子規    
           明治の春、に浮かんだお雛様の影。 見ていた人。

                  さん、ではまたね。 カロ

                                        ひなsiki  momoA0012.png
                                     
 
 tubame2 (3)oosyou さんこんにちは 
              Bonjour Monsieur. 


                      今年はと思ふこと  正岡子規
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                                凧です。 念のため。

                                    hatsumoude_hamaya.png  

       (1867~1902)は、近代俳句の出発点と言われる人。   

           彼の業績のほとんどは病床でなされました。     

   明治29年(1896年)、は床につくことが多かったものの、

   たまには外出することもできました。 でも、病勢がつのってゆくはあったようです。
             
                                            nenga_mark07_fujisan (2)syou  
 
  今年はと思ふこと            

  まだ才。 は、と、心にき上がっていたのは何だったのでしょう。

    やはり、なんとか病をして、した仕事がしたいと思っていたのでは?

              IMG_4708.jpg
                                   セルフポートレート子規

             newyear_c93 (2)

           ちなみにわたしの場合、新年はお餅など食べつつ、こそ、と思うのですが、

           お正月気分の抜けるころにはすっかりれ、また相変わらずの

             ナマケモノルーティンにってゆくことに。


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                             フリードリヒ    

     が取り戻せたなら、こんなことがやってみたい。 子規は短歌に託します。
                                 
      立たば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを  

       スケールきい。 nenga_mark07_fujisan (2)syou 
                                               夏の花 蓮

    立たば黄河の水をかち渉り崋山の蓮の花剪らましを   
            子規は日清戦争に記者として従軍。 中国の地をんでいます。  

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                       黄河ではなく横浜の水


      派だった子規にとって、身体のかない現実はつらいことだったのでしょうね。

 (と言っても35才)の「」には、東京で行ってみたいところ、てみたいものが挙げられています。

          写真
                   175795m (2)syou キャラちょっと新し過ぎか? 

 自転車の競争 159393m (2)及び

  animal_lionsyou.jpg動物園の及び  149259m (2)                                                                   
           浅草 nettaigyo_fish_30613-300x300 (2)
                                   
              ビール3 

  子規の行きたい場所、 ここでは、かなり的ですね。                        

                        soraeki.jpg
                                       凧・・・紙鳶・・・タコ

              nenga_mark10_hatsuhinode (2)     
                                                     
          にひ年のさしけるガラス窓のガラス上る見ゆ  子規

  当時珍しかったガラス戸は、病床の子規のため、社中からのプレゼント。

 寝床から限られた外界を見る生活は、やがて、身の回りに生命を感じ取るへとつながってゆきました。

                                              tubame2 (2)oo

    鶏頭の本もありぬべし
                            をとゝひのへちまのも取らざりき 

      も、そしても、思えばこのガラス窓をして子規が見たものでした。

     狭い場所にしていても、見えるものは見える!のですね。

 冨嶽三十六景 東都浅草本願寺
                              葛飾北斎  冨嶽三十六景 東都浅草本願寺


                     立たば・・の願いはかなわなかったけれど、

           子規の枕辺は、豊かで自由なものでした。  い空をひるがえる凧のように・・・。
                                IMG_4714.jpg
                                                        これ凧です。 もう一度、念のため。


                         元日や吾新たなるひあり  夏目漱石

                         子規の生涯の、漱石にもこんな句が。

               子規や漱石の詠んだ願い、思いは、明治のたちすべてのだったのでしょう。

                               さん、ではまたね。  カロ

                                                       nenga_mark23_tako (2)