中村苑子遠望 饒舌の鸚鵡  その3 松下カロ

狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる 『水妖詞館』

鸚鵡は饒舌です。要らないことまでしゃべってしまう誰かにも似て・・・。


鸚鵡9



1994年刊の中村苑子の随筆集『俳句自在』の中に、次の文章を見つけました。
 
「ことばに対する彼の執着と貪婪さは類がなかった。さしずめ身近な餌食は私の俳句で、書きかけの私の作品の中から、気に入ったことばを見付けると、有無を言わさず強引にひっさらってゆく。・・中略・・口惜しいけれど諾わざるを得なかった私は、

 狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる

などと、仮想殺人の俳句を書いて胸のつかえをおろしていた。」
                         
( 『俳句自在』 中村苑子 角川書店 1994年1月 )

「彼」とは勿論高柳重信のことです。
高柳重信。多行表記の父親です。彼の存在と句は、その死後も、私たちに、「何故俳句を作るのか。」という問いを発し続けています。
中村苑子と高柳重信は、サルトルとボーヴォワールのような公私にわたるパートナーでした。
そうだったのか・・・・。

高柳重信ハンサムバージョン鸚鵡1

あんまり似てない?

「熟練の鸚鵡」は、眼鏡をかけ、煙草を咥えていたようです。「鸚鵡」とは「言葉盗人」を指し示す喩であったのです。
思いのほか直接的だった謎解き。熟練の鸚鵡が高柳重信であるのなら、他のアイテムにも個人が詠み込まれている可能性があるのではないでしょうか。この句は「俳句評論」ゆかりの俳人誰のこと、あの句は苑子と付き合いのあった女流俳人誰のことかもしれない、と妄想がふくらみはじめました。苑子のこの種の句には、以外に解りやすい背景があるのかもしれません。


鸚鵡10



若き蛇芦叢を往き誰か泣く     『水妖詞館』

蛇はだれか。大岡頌司か、元気な頃の折笠美秋か

放蕩の野や晩年の蝮売り

蝮売りはやはり高柳でしょうか。

鈍き詩人青梅あをきまま醸す

「青梅の詩人」は誰とも解りませんが、結構辛辣な批評が込められている印象です。

鸚鵡7


中村苑子と高柳重信の「言葉の共有」は、かなり頻繁なことであったと言います。一種の「遊び」とも見えますが、「被害者」は多くは苑子の方であったらしく、上記の引用文章には真剣な恨みが感じ取れます。
高柳の句集『蒙塵』の、

花火
はなやぎ
着飾り終へし
喪服の時間


喪の衣の裏はあけぼの噴きあげて    『水妖詞館』

また句集『遠耳父母』の

凧あげや
沖の沖より
父の声


声あげて沖へ沖へと火の雲雀    『水妖詞館』

中村苑子の雰囲気が濃厚です。しかし、盗って盗られては、お互いのこと。

身をそらす虹の
絶巓
処刑台  
   高柳重信 『蕗子』 1950年

身を反らしいづれは渉る虹の橋     『吟遊』 1993年

こちらは「発表前のことば」を攫ったわけではなく、既発表から取ってきた、「確信犯」のようです。

『吟遊』には、

人死んで枕残れる大西日
死にし人先へ先へと虹立つ野

身を反らしいづれは渉る虹の橋

の順番で、掲載されています。「大西日」は高柳が急死した時の句ですから、長年のフレーズの盗り合いも、「虹の橋を渉って」打ち止め、という万感のこもった「共有句」なのかもしれません。

狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる

高柳に多くを学んだ中村苑子は、また高柳にたくさんのものを与えていました。「与えさせられた」のかもしれません。彼女はその度に、狂い泣きしながら、口惜しさを口惜しさごと、したたかに句に写し取っていたのです。

饒舌な鸚鵡はそれを知っています。

鸚鵡8




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中村苑子遠望 饒舌の鸚鵡 その2 松下カロ

狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる 『水妖詞館』


鸚鵡のブローチ


ほそい腕、ほそい指。鸚鵡の首を絞める女の手。 怖い・・・・。

唐突ですが、

帰り花鶴折るうちに折り殺す     赤尾兜子 『歳華集』1975年

折鶴1


 
ここでも鳥が殺されています。 ( 紙製の折鶴ではありますが。 )
赤尾兜子は『俳句評論』の重要なメンバーです。独特の「二物衝撃」による「第三イメージ論」の実践で、関西前衛俳句を牽引しました。
折り鶴の句は、後期の、伝統表現への回帰を指摘される頃の作品です。細かい「鶴を折る」作業、言い換えれば何か知的な作業に疲れ果て、荒れ果ててゆく人間の心理が痛々しいばかりです。作者の心の内にある「計り知れない部分」の存在を意識せずにはいられません。
「第三イメージ論」はなかなか読み取りが難しい実践と言えるでしょう。一般的な「二物衝撃」はふたつの「もの」をいかにマッチング ( 意外性も含めて ) させるか、に工夫がこらされているのですが、兜子においては違います。全く異質のイメージ、化学変化させた、とも言われる「第三の」イメージを追い求めることに力が注がれ、多くの場合、生まれてきたイメージは読む側との「共感」から敢えて遠ざかろうとしているかのようです。そして「共感」を拒否された読者は、拒否されたことで、却って兜子俳句に追いすがりたくなるのです。

広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み     『蛇』1954年

「裂けた木」、「塩」ふたつの無機物の衝撃は、読んでいて辛くなるような主体の痛み、精神的疲労を伝えています。

このあたり、中村苑子の駆使した作句テクニックと実に似たものを感じます。彼女の場合は、むしろ入り込みやすい「妖艶句」と、破目を外した「異形の句」を衝突させることで、追い求める自身のイメージを一連に定着させようと図っているようです。一句のなかでは、兜子のような分裂を誘う危険はあえて犯していません。「二物衝撃」 ( という言葉を選ぶべきか否かは解りませんが。 )は句と句をからみ合わせることで、引き起こされています。

鸚鵡5


兜子は、また苑子は比喩( 暗喩 ) というものを、「読み手と実感をひとつにするための詩的技術」としてではなく、「自身の実存を確かめるための方法」として捉え直そうとしていたのでしょうか。

中村苑子と赤尾兜子。年齢的には、兜子のほうが10歳ほど年下ですが、畢生の代表作、とも言える句集を上梓した時期は重なっています。
中村苑子『水妖詞館』、赤尾兜子『歳華集』、共に1975年刊です。ふたりは、『俳句評論』に拠り、人生の大きな句業を、時を同じくしてやり遂げていたのでした。
 当時、句の頂点を持ったもの同士として、苑子、兜子は互いの句に無関心でいた筈がありません。

絡み藻に三日生きたる膝がしら    『水妖詞館』
去来忌の抱きて小さき膝がしら    『歳華集』
夕ざくら家並みを走る物の怪よ     『花狩』
空鬱々さくらは白く走るかな       『歳華集』

兜子の繊細で若干病的なものを感じさせる詠い方は、意識的にせよ、無意識にせよ、苑子句に何らかの影響をあたえているのではないでしょうか。特に気持の揺れた際の「破調」の句には・・・。

鸚鵡4

鸚鵡や蝮、鴉は何かの「代替物」として使われていることが多いようです。
兜子の「裂けた木」や「塩」もまた然りです。つまりこれらのアイテムに付託されたイメージは解りにくいものですが、示唆的で切羽つまった「内訳」、くだけた語にすれば「ネタ」がこもっているのです。確執の対象か、事件か、何かを暗示しているのであろう言葉たち。しかしそれが何なのか、大抵は到達困難なまま終わるのですが・・・。
この点、たとえば「意味を離れる。意味へ逃げない。」ことを一貫して標榜してきた俳人、阿部完市の「解りにくさ」とは、本質的な違いがあるといえるでしょう。この俳人にも、「鳥」の句があります。

鵜を抱いてけむりいつぽんもつて     『純白諸事』

洗練され、磨きぬかれた言葉たち。鑑賞者は「読む」というよりただ「感じる」ことを要求されています。

かなかなのころされにゆくものがたり     『にもつは絵馬』

音韻を信じ、常に無垢な気持で句の世界に入り込むことで、はじめて上質なリズムや音律の魔法に身をまかせることが出来るようになるのでしょうか。この圧倒的な世界を守りつづけ、詠み続けることの素晴らしさと孤独。
阿部の作品に魅力を感じつつ、苑子、兜子の自身の悲しみを資として練り上げた「私小説」めいた句にも、抗しきれないものがあります。

狂い泣きして熟練の鸚鵡をくびる
俳人は怒っています。句は五七五と言うよりは、七「狂ひ泣きして」、五「熟練の」、七「鸚鵡をくびる」の大破調。上五(七)はもたれっぽく暴れ、下五(七)も堪忍ならぬ、の様相。小気味良いほどです。残酷なことを言っていながらも、場面設定は具体的でよく飲み込めます。なんだかスカッとします。中村苑子は偏愛してきた「曖昧な物言い」をここではさらりと棄てています。

鸚鵡6

「狂って、泣いて、鸚鵡を殺します。」明快です。こんな風に怒ったことは私にもある、とか、たまにはこんな風に怒ってみたい、と思わせます。この種の句にも「謎めいた動詞遣い」や「主語のすりかわり」を多用していたとしたら、読者は句をもっと重くるしいものに受け止めねばならなかったでしょう。
句の形は句の内容に求められるままに変貌しています。
人間誰しも頭にくる事はあります。「俳句の巫女」中村苑子とて例外ではないでしょう。でも、「熟練の鸚鵡」とはなんの象徴でしょうか。白秋調の薀蓄を含んだ言葉にも思われますが・・・。どんな状況下で詠まれた句なのか。やはり「嫉妬系」でしょうか・・・?

『水妖詞館』を初めて読んでから10年以上経った頃です。「鸚鵡の謎」にあっけない決着がやってきました・・・。

饒舌の鸚鵡そのに続く!!

お楽しみに・・・・。
中村苑子遠望  饒舌の鸚鵡 その1  松下カロ

 
狂ひ泣きして熟練の鸚鵡をくびる     『水妖詞館』

鸚鵡と真珠

極彩色の、純白の、また鮮やかな緑の羽根。鸚鵡には存在感があります。鸚鵡という漢字もまた。「鸚鵡」に匹敵する名前を持っている鳥は「雲雀」だけではないでしょうか。
稀に店頭などで鸚鵡が飼われています。止まり木に拠り、道行く人を睥睨して、なかなかの風格。じっと見ていると、あちらも見つめ返します。周りをぐるりと一回りすると、向こうもぐるりと頭をまわします。「コンニチワ」と話しかけてみても、賢しげに首を傾げるばかり。多分哲学でも考えているのでしょう。

頭脳明晰、人間のような声を出し、唄を歌ったり、会話することまで出来る鸚鵡。その鸚鵡に、何か侮辱的な言葉でも浴びせられたのか、作者はいたく腹をたてているようです。ヒステリックに泣き、しまいには鸚鵡の首を締め上げるというのですから。
美しい色彩の鸚鵡を「くびる」女の細い、しかし底力のある指先。初めて『水妖詞館』を読んだ時、「鸚鵡」は「嫉妬」かもしれない、と思いました。裏切られた女性が男と恋敵を呪う句か・・・。まさに嫉妬とは華麗なもの。鸚鵡の羽根にも似て絢爛と詩を彩るものです。それにしても、「狂い」、「泣き」、「くびる」とは・・・。制御も客観もありません。これが、

黄泉に来てまだ髪梳くは寂しけれ    『水妖詞館』

と詠んだ同じ作家の句でしょうか。

鸚鵡3


中村苑子が世を去った時、『朝日新聞』( 2001年 1月14日 )は、彼女を「妖艶な作風で知られる」と報じました。死亡記事に添えられた「代表作」は、

貌が棲む芒の中の捨て鏡      『水妖詞館』

でした。句は、実際は

貌 ( かお )が棲 ( す )む芒 ( すすき )の中の捨て鏡

と、括弧で分断された印刷で、二度ショックだったことが思い出されます。

「貌が棲む」が紙面に選ばれたことには、興味深いものがあります。現在も代表作として人口に膾炙している「苑子らしい句」は、

翁かの桃の遊びをせむといふ     『水妖詞館』
春の日やあの世この世と馬車を駆り

「翁」の優美さと雅、また「春の日や」のような幽明境を異にする世界を自由に行き来してみせる「生死」を遊ぶ句です。同時に、

貌が棲む芒の中の捨て鏡    『水妖詞館』
寝苦しき鬼が踏みしか折れ桔梗    『四季物語』

俯いた女がやにわに貌を上げるとその額には角が生えていて・・・。情念を見事に詠んだ句が不可欠、という理解で、「貌」の句が代表作として記事に揚げられたか、とも思います。実は、初読時から、鏡に映っている「貌」は「鬼」に違いないと思い込んでいました。

改めて「貌が棲む」を読んでみると、意外に静かな句の本質、「なにも映していない鏡」の可能性も感じました。空っぽになった鏡の面もまた別の怖しさかもしれません。「情念句」の特徴、女性の暗部に踏み込んでいながらも、あくまでも美しい俳句造形、完璧な切れ、句中で完結する物語、「妖艶」という言葉を想起させる所以でしょう。

鸚鵡2

しかし、中村苑子の句集を開けば、どのページにも妖艶、雅な句が満載、という訳ではありません。むしろ、読む度に新しく「苑子らしくない」句を発見して驚くことの連続です。「らしくない」句の中で、俳人は淑やかなイメージをかなぐり捨ててしまいます。「鸚鵡」の句を初め、思い切って「蓮っ葉な」言い回し、かなり「あけすけな」語彙も使われます。曰く、くびる、くびられる、死にそびれる、反吐す ( もどす ) 、死に倦む、そして狂ひ泣く。続々と登場するアイテムも、鴉、蝮、蝮売り、蚊喰鳥、海胆、磯巾着、死霊、生霊・・・。

くびられて山鴉天下真赤なり      『水妖詞館』
死霊生霊蛇飢ゑてゆく藪の中
踏まれどほしの磯巾着の死に狂ひ    『吟遊』
そこかしこ死者も死に倦む山ざくら

「死霊生霊」の句などは、「苑子らしくない」を通り越して、いっそ凄艶な世界にもどってきたようでもあります。「貌が棲む」の句とも、「藪の中」か、「芒の中」で、密かに結び合っているのかもしれません。
現実世界と同じ広さの、あるいはもっと広く底知れない非現実の世界。そこでは「意識下の意識」が縦横に飛び回り、動物、植物その他あらゆるものに姿を変えて、句を詠み始めます。

鸚鵡のシャツ
鸚鵡のシャツ


これら「異形の句」は、苑子句の中で重要な仕事をしています。流麗な代表句に、彼等がたち混じることで、一連は紛れもなく苑子独自の旋律を持ちます。『春燈』で、季語と感情の美しいコラボレーションを学び、三橋鷹女に「詩の本質」を呼び覚まされた俳人は、前衛俳句との出会いで「句の構造」にも意識的になりました。中村苑子の中には、伝統も前衛も、孤高も俗世も混濁しています。彼女はその混濁に正直です。
細腰の美しい句も、一見「代表作」とは思われない「見込まれ」、「くびられる」句も、中村苑子に欠かすことの出来ない作品でしょう。

鸚鵡の帯どめ

饒舌の鸚鵡 その2へ続きます 乞うご期待